2017年5月23日

購書日記(3)

定休日。午前中は仕事。合間に金井美恵子の『待つこと、忘れること?』を読み終え。ここ数日、ひょんなきっかけで読み直していた。この作家への愛憎入り混る複雑な気持ちを確認しつつ。午後はある計画のために同じ中町のテオレマ・カフェの店主さんに時間を割いていただく。これについてはまた別の機会にくわしく。夕方前に荻窪のTitleへ。随分ひさしぶり。前々から気になっていたアーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』と、チママンダ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の二冊を買う。余談だけれど、四月からいっしょに働いている店員のOさんは女性で、そこではフェミニズムの問題を無視することはできないという気持ちが強まってきている。この本が、そうした避けることのできない問題への水先案内人となってくれるだろうか。で、店内のカフェで読書。読みさしの松本清張の短編集を読み終え。目あての「菊枕」はいわゆる「俳壇」へのゴシップ的関心のほか、あまり感じるものがなく不快だったが、芥川賞受賞の「ある「小倉日記」伝」など収穫もあった。その後は同じ青梅街道沿いの古書モンガ堂まで歩き、石田波郷全集の端本と田中冬二の詩集を買う。少し買いすぎた。また脱線するが、Titleに行くひとのなかでモンガ堂まで足をのばすひとはどれだけいるのだろう。意外と遠くなく、また本が好きであれば絶対に気になる本が山ほどあるはずの古本屋。ぜひセットでまわることをおすすめしたい。まだ書きたいことはあるのだけれど、今日はこのあたりで。

2017年5月16日

購書日記(2)

定休日。13時に歯医者に予約してあり、それまで読書。ハインラインの『夏への扉』を読み終え。爽やかな読後感。ひとを憎む気持ちよりも、ひとを慕う気持ちのほうが多くの場合には生産的なのだ。それにつけても福島正実の訳文の軽やかさ。宮田昇の『戦後「翻訳」風雲録』を読んで以来、この翻訳者であり編集者、SF作家でもある人物の文章に触れてみたいと思っていた。素晴らしい出会いだった。歯医者の後はテオレマ・カフェへ。水中書店のお客さんと話すと、三鷹に来て水中書店のほかどこへも寄らずにとんぼ返りしてしまうひとが多くて、常々もったいないと思っていた。たとえばこの北口のテオレマ・カフェに足を運んでほしい。損はさせない。わたしが保証する。その後は妻との待ち合わせまでのあいだ、南口の啓文堂へ。大浦康介『対面的――〈見つめ合い〉の人間学』とヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を買う。『対面的』は相対すること、眼差しを交わすことをめぐる断章。Oさんにすすめられて興味をそそられた。Oさん自身はみすず書房のInstagramで知ったのだそう。Instagramで自社以外の本も紹介しているみすず書房。すてきだ。夜は妻とリトルスター・レストランへ。本やこれからの愉しみの話。とてもよい休日だった。

2017年5月9日

購書日記(1)

定休日。午前中に洋書会への出品で神保町へ。三鷹へ戻ると歯医者の予約時間まで間があり、カフェで読書。ヴァージニア・ウルフ『船出』を読み終え。物語の佳境を迎える直前の、ある船上での夜の描写につよく打たれる。夕方、妻と中野で待ち合わせ。まずはあおい書店で文芸書の棚を眺める。桐野夏生『夜の谷を行く』、恩田陸『蜜蜂と遠雷』など気になるが、悩んだ末に川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』を買う。出てから一年以上になるが、今がタイミングのように思え。その後、早稲田通り沿いの古本案内処へ。トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』と松本清張『或る「小倉日記」伝』の二冊を432円で購入。カポーティはこの前『ティファニーで朝食を』を読み直し、改めて感動させられたのだった。清張は芥川賞受賞の表題作よりも、ある女流俳人の苦悩を描いた短編「菊枕」が目あて。どちらも読むのがたのしみだ。と言いつつ、読みはじめたのはハインラインの『夏への扉』。先週立川のオリオン書房で買ったもの。福島正実訳に引き込まれる。夜、食事をとりながら妻と古本案内処がどれほどたのしい古本屋かという話で盛りあがる。

2017年5月3日

四月中旬以降のこと

この半月ほどのことを、あまり順序立てずにつらつらと書いてみます。まずは店の現状のこと。自分のほかに従業員がほぼ常にいるということに、少しずつ慣れてきた。従業員のほうから「慣れてきましたね」などと言われてしまうのだから、まあ間違いないはず。すべて自分でやらなければ、と三年間ずっと力が入っていたのが少しずつ抜けてきたような気分。棚もひとりの人間の思考回路から外れ、これも少しずつ、複数のひとの手で作られたものへと変わってきているようで、これがたのしい。そんなこんなで、ちょうど月が替わりましたが、どうにか二人分の給与をひねり出せました。足を運んで下さったみなさま、本を買って下さったみなさま、本当にありがとうございました。


話は替わって、ここのところ、毎週金曜に八王子まで出張買取に行くというのが三週つづいた。八王子のなかでも東のほうで、有料道路を避けても車で一時間強ほどで到着する。たとえばEarth, Wind & Fireのベスト盤をかけながら行くと、ちょうど聴き終わるころに着く。国道沿いに大きな居酒屋やファミレス、ちょっとした娯楽施設がたくさんあり、自分がそこで暮らしているとしたらどういう風な生活をしているのだろう、などと想像してみたりもした。


出張買取の話になったので、先日品川へ行ったときのことを。品川は駅前の高いビルがたくさんある風景の印象がつよくて、住む場所として想像できずにいた。もちろん同じ区内でも地域によるのだろうが、今回足を運んだ一角はとてもすてきな町だった。歩道の広い通り沿いには葉の生い茂った木が立ち並び、小学校があったかと思えば洒落た飲食店もあったりする。マキヒロチの『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』は、吉祥寺で不動産屋を営む姉妹が毎回部屋を探しているひとに吉祥寺ではないほかの町の魅力を伝えることが、読者にも同じようにそれらの町の魅力を伝えることになるような構成のマンガでとても面白いのだけれど、はじめて読んだときに感じた既視感、既読感が気になっていた。今思うと、それは出張買取によるものだったような気がする。買取でいろいろな町へ行くと、その都度それぞれの町に魅力があることを知り、少し住みたくなる。


Mさんから聞いた話を。常連のMさんは仕事が終わった後によく赤ら顔で寄ってくれて、本の話もする。少し前に野見山暁治をすすめるととても気に入ってくれた。そのMさんが館山の実家の近所の回転寿司でひとりでいるとき、隣の席の男性が『続アトリエ日記』を読んでいたのだそうだ。迷った末に話しかけてみると、木更津で展覧会があり、その日は野見山暁治さんのトーク・イベントの後、そのまま帰るのが惜しいような気持ちになり館山まで足をのばしたということらしい。ほんの短い時間、野見山暁治や本の話に花を咲かせて別れたという。好きな画家の話に直に耳を傾ける機会に恵まれ、高揚した気持ちのやり場に困り、「ちょっと」とは言えない距離を移動して、そういう風にしてきた男性のことを思うと、なんだか堪らないような気持ちになる。


俳句のこと。市場で落札した本のなかに、裸本の寺山修司の句集があり、そのままツブすのも勿体なくて、ある火曜日に一日かけて読んだ。「目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹」「燃ゆる頬花よりおこす誕生日」「父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し」「沈む陽に顔かくされて秋の人」「木の葉髪書けば書くほど失えり」「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」「書物の起源冬のてのひら閉じひらき」「軒燕古書売りし日は海へ行く」など、好きな句をノートに書き写す。


最近の読書。佐藤正午『月の満ち欠け』を面白く読んだ。生まれ変わりをモチーフにした、少し怖くて少しロマンチックな話。出たばかりの長編小説を一気に読むということ自体もひさびさで、それも嬉しかった。ヴァージニア・ウルフ『船出』は今ちょうど読んでいるところで、上巻が終わって下巻の途中。訳文に馴染めず、例によって登場人物がとても多いこともあり、四苦八苦しながら。とは言え、面白いです。並行して読みはじめたのは朔太郎の『詩の原理』。これも面白い。今月はもう少し本を読む時間をとることができるといいのだけれど。

2017年4月15日

この春のことなど

春という季節があまり好きではなかった。出会いと別れだとか、新生活だとか、要はそういう有無を言わさないような環境の変化が苦手だった。ここ数年でそういう気持ちが変化してきたのは、ひとりで働くようになり、有無を言わさないような変化をつよく感じることがなくなったからで、そうすると気持ちに余裕もできて、柄にもなく季節の花を見てうつくしいと感じたりなどしている。今年は出張買取に向かう車のなかから白木蓮をたくさん見た。いろいろなところで見た。


三月のおわりにTwitterをやめた。いろいろと考えた末、というつもりで、それについてはまた考えがまとまった頃に書いてみようと思う。これまで読書が捗らないのをTwitterのせいにしてきたこともあり、ここで読まなければどこで読むのか、という気持ち。この半月ほどで面白く読んだのは、リャマサーレスの『黄色い雨』、岸政彦の『ビニール傘』、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』。今は詩のようなことばで書かれた散文にこころを惹かれているようだ。


花の話も出たので、というわけでもないのだけれど、俳句のことを少し。年の暮れから俳句をつくりはじめて、実はあまり捗っていません。今は忙しいせいにしつつも、実際のところはどうなのか。句集を読むことはしていて、最近は飯田龍太、小澤實をよく読んでいます。龍太はこの冬に池袋のジュンク堂で買った『飯田龍太全集』1巻(角川書店)で、實は随分前に新宿の紀伊國屋書店で買った『小澤實集』(邑書林)で。少し前衛寄りのものが恋しくなってきた今日この頃。これも紀伊國屋書店で買った田島健一『ただならぬぽ』を繙く頃合いなのか、どうなのか。あと、葉桜がうつくしいここ数日は、中尾寿美子の「葉桜や家出をおもひ家にゐる」という句をよく思い出します。好きな句です。


そして四月からフルタイムの従業員を雇うことに。Oさんは大学の後輩で、どことなく自分に似たところがあり、お互いに人見知りせずに済んでいる。今は店番をしてもらったり、本をきれいに磨いてもらったり、値付けをした本を棚に並べてもらったり。自分は棚づくりに妙なこだわりがあるので、ほかのひとに棚を触ってもらうことについて不安もあったが、これは取り越し苦労だった。Oさんなりに棚づくりを愉しんでくれているようで、彼女が帰った後に棚を見ると、自分では思いつかなかったような、それでいて面白い本の並びに新鮮な驚きを感じる。「なるほどー」「たしかにー」「これなら売れそうー」などと声に出さずに思いつつ。


その四月もそろそろ後半戦。肩の力を抜いていきたい。